ジョニー・ライデンという男について①

君はジョニー・ライデンという男を知っているか。

 本記事では機動戦士ガンダムMSV‐Rの登場人物であるジョニー・ライデンを様々な作品を基に紐解いていこうと思う。

参考として使用した資料

機動戦士ガンダムMSV戦記 ジョニー・ライデン

②マスターアーカイブ 機動戦士ガンダムMSVエースパイロットの軌跡

機動戦士ガンダムMSV-R ジョニー・ライデンの帰還

 

図1 ジョニー・ライデンと目される人々の写真(ジョニー・ライデンの帰還第1巻)

 上に載せた画像はジョニー・ライデンの帰還第一巻の74頁に描かれているものになります。この画像からもわかる通り、ジョニー・ライデンという人物は非常にたくさんの人物像があり、謎に包まれた存在である。

 ここからは上記した資料を基にジョニー・ライデンという人物の過去を解説していく。

資料①に描写されているジョニー・ライデン像について

 ジョニー・ライデンはUC0077年に22歳で国防軍に志願入隊したとされている。しかしジョニー本人は戦争が嫌いであり、その理由は「ザビ家が嫌いだから」というものだった。(志願入隊も父親が勝手に行ったものであった。)

 ただジョニーは幸か不幸か何をしても成績が優秀、結果一週間戦争(UC0079年1月3日~1月10日)に曹長としてザクⅡ(MS‐06C)で参加。初陣の際に全身を赤く塗れとメカニックに指示を出すが、撃墜される危険性が高まるとして止められる。(ミノフスキー粒子の存在から有視界戦闘が主なため。)

 ※何故ジョニーは機体を赤く染めたかったのか?

 実は、早めに被弾し負傷兵となり、戦地から遠ざかりたいという気持ちからだった。もとより撃墜されることを目的として突っ込んでいったこと、連邦軍がMSを見るのが初めてだったこと、ジョニーがMSの操縦に長けていたことなどが重なり、戦果を挙げることとなる。続くルウム戦役(UC0079年1月15日~1月16日)でも戦艦三隻撃沈などの戦果を挙げ、大尉に昇進。またザクⅡ(MS‐06F)を受領し、真紅の稲妻と呼ばれるパーソナルカラーに染め上げた。(目立って撃墜されるため)

 こんな性格のため、数々の問題行動を起こし左遷されることになる。(連邦軍のルナⅡ補給路方面へ)そこで高機動型ザクⅡ(MS‐06R‐2)を受領。(全4機製造という大変貴重な機体)更なる戦果を挙げることとなる。

ア・バオア・クー最終決戦時のジョニー・ライデン

 公式記録ではジョニーは高機動型ゲルググ(MS-14B)に搭乗しMIAとなる。これは様々に存在するジョニーの資料の中でも珍しく共通している点だろう。

 だがこのっ作品の中ではジョニーが生きていたとされている。救助してくれた艦に残っていたMSに乗り、再出撃を果たした。そのMSがこの作品の表紙にもなっているフルバレットザクである。

フルバレットザク(機動戦士ガンダムMSV戦記 ジョニー・ライデン

 その後、この機体を駆り、フルアーマーガンダム(FA‐78‐1)と戦闘。その後MIAとして終身中佐となる。

 

 一年戦争終結後のジョニー・ライデンの足取りに関して

 UC0082年にオーストラリアにて、目撃情報がある。シン・マツナガが彼に会いに行った記録が非公式に残っている。ジョニーはオーストラリアで復興支援を行っていたが、シンに召集されまた宇宙に上がることとなる。

 一年戦争末期に進められたジオン次期MS開発計画にて設計された機体群があった。プランAがビーム兵器携行機体の開発、Bが実弾性能向上機体の開発、Cが単機で戦局をひっくり返す超高性能機の開発である。資材に限りがあるという理由で廃案となったプランCの提案者Dr.Qは、パーフェクトザクを完成させ、ジオンに牙をむくようになった。その処理にシンとジョニーは向かったのである。その戦闘でジョニーは死んだとされている。ただ後年、彼らしき人が故郷に帰ってきたという話もある。

資料①で描写されているジョニーライデンの機体の変遷

MS-06CMS-06FMS-06R-2MS-14BMS-06R-2(フルバレットザク)ランド・ザックMS-06R-2

 

資料②に描写されているジョニー・ライデン像について

 ジョニーは由緒正しい家系の生まれで、父親はジオン共和国の議員であったとされる。UC0078年22歳の時に国防軍に志願入隊。その後一週間戦争(1月3日~1月10日)に参加したが、目立った戦果は挙げられていないとされる。乗機はザクⅡ(MS-06C)であった。

 1月14日未明からのルウム戦役では三隻の戦艦を沈める戦果を挙げた。早期撤退であったため、もう少し長く戦場に残っていれば戦果はさらに伸びたであろうと噂されている。その後にザクⅡ(MS-06F)に機種転換。(MS-06-Sという説もある)

 長らくジョニーの動向は不明慮であったがUC0079年8月初旬にア・バオア・クーに召喚され、第8パトロール艦隊「プリムス艦隊」に配属された。これに伴って少佐に昇進している。またその際に彼は新型を受領している。それが総生産数4機の高機動型ザクⅡ(MS-06R-2)である。

 プリムス艦隊は直ちにルナⅡ方面に向かい敵補給艦殲滅任務についた。プリムス艦隊は様々な戦地で多くの戦果を挙げた。

 UC0079年10月下旬、「エース部隊」の創設が進められる。創設の理由に関しては様々な説があり、明確な理由はわかっていない。

 ヒュー・マルキンケルビン大佐以下に31名のエースが集められ「キマイラ」が創設される。ジョニーもその中の一人。

 

 キマイラ隊の編成

旗艦であるザンジバル級「キマイラ」、ザンジバル級「サングレ・アスル」、ムサイ級3隻、プラント艦「ミナレット

ア・バオア・クー最終決戦時のジョニー・ライデン

 キマイラ隊に関して詳しいことはわかっていないが、ジョニーの高機動型ゲルググ(MS-14B)が戦場で目撃されている。「キマイラ」は連邦軍に拿捕されるが、そこにジョニーの姿はなかったとされる。終身中佐、軍籍から除籍。

高機動型ゲルググ(MS-14B) (マスターアーカイブMSVエースパイロットの軌跡)
資料②で描写されているジョニー・ライデンの機体の変遷

MS-06CMS-06F(MS‐06S)MS-06R‐2MS-14B

 

長くなってしまったため、資料③に関しての解説は次回に回すことにします。

各作品の比較なども次回行います。